昭和四十三年六月十八日 月次祭の御教話
「神国の人に生まれて神と皇上の大恩を知らぬこと」「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと」「幼少のときを忘れて親に不幸のこと」と御座います。この御神誡のこの三箇条を、この十六日から夏の信行期間に入っております。その、これは一時の、昼の一時の御祈念の後に、これを奉読させて頂きます、一緒に。その三日間に奉読さして頂いた、三つの御神誡で御座います。この御神誡の第一条というのは、これは戦時中に大変に使われました。戦時中にどこの教会でも張ってある。結局、頂き方が間違っておった、浅かったという感じが致しますよね。神と皇上とのということは、神というのは、神様の神。皇上と言うのは、次の神は皇上、天皇の皇と言う字。皇上、天皇陛下ということですね、当時。神様のご恩と天皇陛下のご恩を知れとこういうのである。神国の人に生まれて、神と皇上との大恩を知らぬこと。
やはりこれは、当時の当局に大変受けたみ教えなんですね。けれども、教祖の神様はね、拝まれるのが天地の親神様ですから、そんな日本だけのことを仰るような神様じゃないとこう思う。神と皇上、いわゆる神国と言うのは、私は、所謂世界中が神国だと思う。世界中が神の国だ。世界中の、例えば、氏子が神様の御子として神様は言うておられるなら、その世界中が神国なのである。その神国に生を受けた人間が、その神国の、所謂神、神様のご恩、大恩も知らんで生活をするということは、これは確かに、忘恩の生活がそこから始まる。恩知らずの生活ということになる。皇上と言うのは、その国、その国と申しましょうか。昔で言うならば、ここで言うなら、久留米の有馬さんなら有馬さんの領主の恩ということでしょう。福岡であったら、黒田藩。所謂君に忠義というそれなんです。佐賀ならば鍋島さん。と言うように。ですから、それを大きく言うと天皇陛下ということになる。銘々の頂いておるところの上である。我々が頂いておるところの上。言うなら長。長だ。やはり、その人のご威徳なら、御威徳という、また、徳を持たなければ、その国の長なんかには成れません。それは選挙で当選致します、例えばアメリカあたりのような行き方の国であっても、大統領なら、大統領という人は、やはり徳を持った人。その人が、アメリカがいよいよ、より良い立ち行くことのために一生懸命なって下さるのであるから、そのことの働きに対して恩を感じなければいけないというのである。神と皇上はそういう風に頂かなければいけない。
そこでです。私共は、そういう意味で、神と皇上との大恩を分からして頂くようになったら、一日が有難い、勿体ない。「大蔵省は人間の口を見たような物で、その口に税金が納まらぬとどこの次郎やら、太郎やら分からぬようになろうぞ」と、「四分板張った戸一枚で寝てはおられぬ」と、そういう風に教祖は御理解下さっています。ですから、その神の恩ということが分かる。神様のご恩徳ということと同時に、その国の長なら長、国恩なら国恩ということが分かってくればね、税金なんかも私は有難く納められるおかげ。だから、或る篤信の方が言われた。「皆が税金こぎりに行くという気持ちが知れん。自分でばし払うごと。だから、どうぞ神様千円より一万円の税金が払えるようにおかげを頂かして下されと言うて、なぜ願わんじゃろうか」というた人があった。所謂一万よりも十万円の税金が払えるような、そういうおかげを頂いた。ところが税金を取られてしもうたら、家がぼんさんにならなきゃ成らんというところに、いかに誤魔化して少なくしようかというところから、値切りに値切り、誤魔化しに誤魔化した税金ですらが、納められんようになり、それがどこの次郎やら太郎やら分からん、四分板一枚にならなきゃ成らないような結果にすら成ってくる。
「神と皇上との大恩を知ぬこと」。次に「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと」。その日の、夏の、いや一時の御祈念の後に、ただそれを読ませて頂いて、そこのところの注釈だけがあった。これは、軍国華やかな時分のお道の信心の、一つのスロ-ガンのような物であった。天皇陛下と、神様にという風に頂だいておった。けども、教祖の御信心から言うなら、そんなちっぽけな物じゃなかろう。アメリカ人であろうが、黒人であろうが、すべてが神の氏子としての頂き方、見方であられるのですから世界中が神の国であると言う頂き方。世界中に他人ということはないと仰るから、ですから、そこはそういう風に頂かなければならんという注釈。また、本当にそう頂かなければならんと思いますね。 「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと」。それはね、天の恩は、言うなら教祖、宗祖という、しかも教義を持っておるという程しの宗教ならばね、一応はみんな説いてある。天の恩を説いてある。けれども、地の恩は説かなかった。むしろ、或る宗教などは穢土と言うように、穢土というのは汚れた土だと、大地は汚れたものだという。そこを教祖は大地のご恩徳というものを、これは身をもって体得されたのでございましょうね、お百姓さんで御座いましたから。大地のご恩徳というものを体得された。体認された。
そこで私は、この御神誡に対しましては、皆さんに、このみ教えは、それがね、皆さんが汗をぶるぶる流しよる。三十分間、一生懸命、それこそ燃えるような、熱烈な御祈念をなさいますから、もう汗びっしょり。もう若先生だん、それこそ、大袈裟のようですけども、ここから見ておりますと滝のように落ち取ります。汗が。ですから、そんなときにゆっくり、悠長な御理解でもしよったんでは皆さんに気の毒だと思いまして、一節づつを一緒に読むことにしております。そして、その難しいところは、注を加えるということに致しております。「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと」と言うことは、本当に教祖の神様であって、金光教祖であって解き得られたことであろう。身をもって説かれた。そこには、自ずと天の恩は分かる。だから、私は「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと」と仰せられるけれども、地の恩を私共が分かったら、天の恩は自ずと分からして頂くものだということを一言付け加えさして頂いた。
御神誡の三条に「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」という、これは決して儒教的な、儒教。支那の偉い人が立てた教え。または道徳、でいうところの、やはりお芝居なんかに現れて来る二十四孝的な孝行ということじゃない。「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」というのは、信心では親子共に助かるということだということ。という注が加えられている。親子共に助かるということ。幼少のときを忘れずに、小さいときに、本当にこの親のおかげでという信心ができたら、親も助かり子供も助かって行けれる道がね、開けてくるんだ。これをね、道徳的な親孝行になってくるとですね。親がどうか言うたら、親の言うことばっかり聞くことがね、親孝行のように思う。なぜたりさすったりすることだけが親孝行のように思う。そうではない。これは信心を頂いていかないと分からない。それを極端な言葉で、桂先生は「神に不孝をして親に孝行をし、後に親に不孝をしている氏子がある」。 これは私の知っているかた何ですけれども、おじいちゃんが、もう何回目でしょうか、もうおばあさんの分が悪くて次々に亡くなられる。亡くなられると若いばばさんを呼んでやらっしゃる。それで、まあ、言わば新婚旅行に息子が出したげな。もうそうとうのお年だ。そりゃあ親孝行者というてその町でも評判であった。ところが、ちゃ-んと温泉の湯船の中で浮いて御座った。これは、親孝行ではないことになりますね。まあ、それに類したようなこと。例えば、目先に親が喜ぶ、目先に親が安心しさえすればよい、場合には親に心配させてもよい。
これは何時だったでしょうかね。もう一二年も前の話。久留米の井上さん、井上峰子さんの姉さんが、あちらの福岡のほうに居られます。子宮癌ということであった。四国にも姉妹がある。井上カツミさん。それから3人の姉妹が集まって話し合った。「こりゃ、おばあちゃんが聞くならもう、玉の緒を切るようにびっくりすることじゃろうから、こりゃ私共だけで一生懸命お願いしよう」ということになった。それで、そういう信心が続けられておった。ところがいよいよ悪いという知らせがあった。その時に私が井上さんに申しました。「こりゃね、あんたどんがいくら、例えば三人が三人で一生懸命願うよりもね、親であるところのあんたげのおばあちゃんが願うとが一番ばい」と私は申しました。「そんな人情を使わずに、そういう人情を使わずに、それは玉の緒が切れるようにびっくりするけれども、そこをお取次ぎを頂いて、お願いをさせて頂いて、おばあちゃんに話なさい」。それこそおばあちゃんがね、泣いて腹かきなさったそうです。「こげな大事なことをどうして私に言うてくれじゃったか」と言うて泣かれたそうです。「もし、このまま子宮癌で死んだならば、どういうことになるか、神様にお願いもせんなりに死ななきゃならんじゃないか」と言うて、峰子さんと一緒にお参りしてみえて、「ようも親先生、親先生なればこそ言うてくれというて下さって、先生有り難うございます。私が、それこそ、老骨に鞭打って、明日から朝参りをさして頂きます。どうぞもう一遍助けて下さい」と言うて、おばあさんながらも熱烈に御信心が始まった。もうその時の、子宮癌であった、その病気がね、医者がびっくりするほどにおかげを頂いた。現在健康でご用ができております。 これなんかはどうでしょうね。親が心配すると、そういうのは道徳的な親孝行ではあるかも知れませんけれども、信心で言う親孝行じゃないということ。私共は、そこを信心をいよいよ、神様の間違いなさとかね、神様の、本当の働きを分からして頂くようにならんと、そこんところが分からない。幼少のときを忘れて親に不孝のこと。幼少のときは知らんに致しましても、自分が親になって見て子供を思うその心を思うたら、親というものは、このように子供のことに思いをかけてくれておるのであるから、この親におかげを頂いてもらわにゃならんというのが信心の親孝行。それをさぁ温泉に行きなさい、お小遣いをあげましょう。心配なことはもうばばさんには言うな。と言うようなことではですね、これはおかげになりません。場合には、次に桂先生が仰っておられる「親に不孝をして、神に孝行をし」これはね、その、親をろくそうに扱うということじゃないですよ。「親に不孝をして、神に孝行をし、そして後に親に孝行する氏子がある」と仰る。
私は、そういう意味合いで、やはり親不孝者であったとこう思う。あんたが馬鹿であるばしあるごと、商売すれば一人前出来るのに、何のためにこげな苦労しなければならんか。信心を止めろとは言わんけれども、とにかく、家の生活だけは立つようにして、そして神様ばしなさい。父があるとき申しました。もう本当に辛抱強い父ですけども、もう堪えに堪え、もう忍びに忍んでおったんでしょう。「あんたが今のような状態なら、私だんお四国参りなっとんせにゃでけん」と申しました。もう実に深刻なことでした。そすとね、私の心の中からね、もう湧き上がって来るんです。(感動される)何か知らんけれども勇気がね、それがね、爆笑。もうそれこそ腹を抱えて笑うもんじゃけん。言うた両親が何のため私が笑いよるじゃろうかというごたる。さあさ、あんたどんそげな事ばかり、ここまで辛抱させて頂いて、さあさ御祈念、御祈念。と言うて、そういう両親を御神前に連れていってから一緒に御祈念をさしてもらう。御祈念をした後にまた、御理解を頂く。御理解を頂くと又、両親が元気がつくというような、いうなら親不孝であった。なら今、私が両親を撫で摩りするわけではないのだけれども、私はある意味合いにおいて、世界一の親孝行者だと自分で思うとる。どのような場合でも、どんな時でも、もうあの人がすることならばと、安心しておる。と私は思うんです。
本当に、「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」を、道徳的な考え方ででも、信心させて頂いておるものが親孝行だというような気持ちでおったら、それは教祖のお心には反することになる。
今日、神饌物があっておりますときに、特に頂きます、あの御神酒がずぅ-っとお供えになっとる。あの御神酒が三本お供えになっとるですね、箱を取ってから。一番前に、この頃御本部参拝した方達がお土産に神様にお供えにもってきた。神露と言う、神の露という御神酒のお供えである。その裏のところがちらっと、私に頂くんですね。裏のところに何と書いてあるかというとね、教祖ご指定の酒と書いてある。教祖の神様が指定された。
あちらが、非常にこの、水が出ないところである。それを教祖の神様に御神意を伺うて、そして、教祖の神様のあの、神露という酒屋が出来た。ですからもう、百何年になるあの、酒屋さんですね。御本部にお参りしますと、控えのほうに帰ります途中にございます。神様へ、例えば御神酒という、神様への御神酒として作れという御理解を頂いてから、あの清い水が出るようになり、良い酒ができるようになったんです。だから、教祖ご指定の御神酒だとこういう。それが神露、神の露である。教祖ご指定の、例えばお言葉。指し定めて御座るところのお言葉。こうあればおかげになる。ところが教祖のお言葉の中には、非常に含蓄がある。含みがある。表面だけでは、しかし私は思うんですね、いやしくも金光教という、教祖のみ教えであり、天地の神からおかげを受けてきたことをと仰る、それが教典になっておるのである。だから、それは決して道徳的な言葉やら、金言的なものではないということ。これはどこまでも御教えだということ。それは言葉の語呂とか、言葉の表面に出ておるところだけは、例えば「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」の表面だけ、だからそれと同じではないとまず知らなければならない。こんな平凡な言葉で言うておられるけれども、御教えはそんな平凡ではないとわかるところに、神という事を、神の国に生まれたということを世界中と、私が分からしてもらったように、地の恩が分かりゃ、天の恩はもう習わんでも分かると、私が思うたように。
「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」と仰る、それなら一ちょ両親を大事にせにゃならんと。問題は、この親に本当に喜んでもらわにゃならん。親孝行はそれ何です。後から聞いてから、とにかく腹を立てるような、例えば井上さんの問題なんか、本当に親が喜んで、本当に親が安心してくれるということが親が喜ぶということ。そこに焦点を置くと、教えがだんだん深いものになってくる。本当に教えになってくる。
今朝の御理解の中にも、農学校の人は農業の学問を身につけるように、商業学校に行くと商業の、例えば簿記とか、算盤とかを教えて頂くように、金光教の信心をさせて頂くなら、どうでも金光教の教祖の教えて下さった、所謂御教えというものを、私共の信心の程度によって、そこを一応はマスタ-しなければならない。
私共は何々教の教えでもなからなければ、何々会の、言うなら信者でもない。どこまでも、れっきとした金光教の信者であると頂いたら、金光教の教祖の教えられた御教えを、私共は頂かなければ、金光、学校なら金光大学であるか、高校であるか、お互いの信心の程度でしょうけれども、行っておるとは言えないことになる。
そこでですね、私共が分からしてもらえばね、所謂「神国の人に生まれて神と皇上との大恩を知らぬこと」と仰せられるから、そのことが分からして頂いたら、そこに、私共の神恩報謝の生活ができるのであるけれども、それが理屈で分かっただけではなくて、心から、芯から分からして頂くというところに、次に、二日目に頂いておるところのみ教えというものが、本当に教学的だけではなくて、実際、自分の身を持って体験しなければならないことになってくる。
「天の恩を知りて、地の恩を知らぬこと」。そんなら地の恩を知るためには、それこそ百回のお話を頂いても、百万遍のお話を頂いても、頂いただけでは分からん。頭で分かっただけではいかん。そこで、大地の心を神様は教えて下さる。所謂、神の心を心としてとこう、申します。大地の心を心としての信心がなされていかなければならない訳で御座います。
大地の心を心とする。だから、ここんところに、いよいよ焦点をおいて信心をさしてもらう。その大地の心を心としての信心が、修行ができるときに、そこには、自ずと天の、天恵という、天の恵みというものが分かる。それを天恵地利と書きます。天の恵み、地の利を得ることができる。それには、まず私共が大地のご恩を分からして頂くために、大地を大事にしなければならん。御地内をみだりに汚すなよ。御地内をみだりに汚しちゃならん。所謂汚しちゃならん、清めて回るくらいの気持ちがなからなければ金光様の御信心のおかげは受けられない。これなんかは金光教の独壇場ですね。
私は土居に参りました時に、何々会の坊さん達が四・五人、ず-っと向こうから托鉢してさるきよんなさった。私は丁度正義さん方が向こうの田舎のときです。あそこの二階からこうして見よった。下に溝が流れて道がこうあった。はぁ、あの人たちは何々山の坊さん達たい。四・五人で来よんなさった。そげん思うて見よった。そしたら、一人が立ち止まってから、溝の中に立ち小便ば始めらっしゃった。そしたら、その四人か五人ござったつが皆連れしょん便。はぁあれが筑後の連れしょんべんち。もうそれはね、それこそ坊さん達が大地のご恩ということを聞いちゃないからです。だから、ここは金光教の教祖の独壇場であるから、大地をみだりに汚しちゃならん、大地を大事にしなきゃならん。でなかったら大地の心は分からん。それを最近ではね、お道の信者さんですらがこの御教えは非常に軽く、軽視してる。これでは、久留米の笠さんじゃないばってんが、どこか行きござったげな、それが途中で小便まろうごつなった。それで途中で借るとも何じゃけんと、とうとう又家まで帰りましたと。私はそれくらいの精進が必要だと。繁雄さんがお百姓されるときに、例えば肥なら肥を撒かれる。これは神様、いうなら仕方がない。そこまでだと、ところが、繁雄さんは違う。お断わりをしながら、「すいません、すいません」と言うて、肥やしをかけられる。私はそれを一遍聞かせて頂いて、成程だなぁ、さすが繁雄さんの信心だなぁと、私は思うた。
そんなら、金光様の信心するなら、肥やしもかけられん。そういう偏見な、そういう小さい神様じゃない。けれども、大地を大事にさせてもろうたり、大地を拝ませて頂くなら、それくらいの心がけはなからなければできんということ。
教祖の、言わば御信心の、所謂独壇場的なところ。だから、そういうみ教えが本当に身について行かなければ、同時に大地の心を心として、どういうような汚いものをもってこられても、こげな汚いものを持ってきてとも言わん。黙って受ける。そして、自分をいよいよ沃土。ね、所謂肥えた土地にしていく。だけではない。そこに野菜が蒔かれるなら、野菜にその滋養を、木があるなら木にその滋養を送る。俺にこげな汚なかもんば、かけたけんで、もう俺は働かんというのじゃなくてですね、もう無条件に限り無く奉仕する。一切のものがはぐくみ育てられることの為に。そういう心というものが、お互いの心の中にでけなきゃでけん。この心があったらね、もう嫁御に行ったならね、向こうの主人が信心がなかなら、絶対ついて来るです。私は、最近嫁に行った娘さん達にそれを言うんですよ。あんたがもう、一年にもなるのに主人を連れて来きらんとはあんたがね、信心のなかもんでちゃ悔やまんようなことを悔やみよりゃせんか。信心のないもんが腹かくようなことに、あんたも一様に腹かきよらせんか。所謂自分が大地の信心が出来て行きよらんからついてこんのだと、私は申しております。
そういう、言うなら厳しい修行ですけれども、それを本気で大地の心を自分の心の中に頂こうとする、そういう精進努力がでけるところに、成程と天地のご恩徳というものが分かってくる。ご恩徳が分かって来れば天は与えるもの。天は恵む藻の。降るように、燦々としておかげはある。それを仏教では福寿界無量という。限りがない。無尽蔵。そういう小さい手本、見本を言うなら、私が頂いておる訳です。必要なものが必要に応じて、限り無く頂ける。
天はもう、皆、すべての上に、神様は誰にも一様におかげを下さってあるんだけれども、こちらの受けものが、所謂大地のご恩徳を分かって、大地の心を心としての信心がでけんから、皆受け漏らしてしまっておる。神様指定のみ教えというものを疎かにするからなんです。大地の心を心としての信心。
先程、御祈念にかかる前に、福岡の麻生さんが、「先生、今朝お夢を頂きました。それが先生」、私は本なこというのかと思うたが、「どうしてそげん、怪我しとったの」と。「それが本なことのごたるばってん夢で御座いました」「ああ、夢じゃったの」。このたかたか指がちっとばかり腫れとる。この手の指が。そりけん、こうやって押したところが膿が出る。それでそれを一生懸命それを絞らしてもらったところがね、それこそ血膿のようなものが出ると同時に、根が出る。それで、これがすっきりしたというお知らせであったとこういう。
今朝の御理解にね、親が娘を嫁にやるときに鏡を持たしてやるのはと言う、あの御理解であった。これは嫁入らずとも、お互いは教えという鏡をいつも頂いておるのであるから、その教えの鏡を何時でも前に立てさしてもろうて、ここはこう行くべきだ、ここはこうあるべきだと分からして頂かなければ。だから、人に悪い顔を見せることもいらない。人に不平不足の顔を見せることもいらない。ところが、私共の心の中にまだ、血膿が残っておる。ですから、腹が立つときには、寂しいときには、苛々するときには、もう訳もなく腹の立つようなことがあるとき、一寸した事がむかっとしたり、というときにはね、あなたの心の中にまだ膿が残っておるときだと思うてね、それを「金光大神様」と、絞り貫かにゃいけん。
ですから、これが絞り抜かれたとき、中心ということね、真ん中。いわゆる心。だからね、腹の立った時にはね、腹の立ったのは、あの人があげん言うた件じゃない。あなたの心中にまあだ膿が残っておるから腹が立つのだということをしらなきゃいかん。それがわかる。分かると、例えば一遍に、なかなか、からみおうたけんと言うてにこっとする訳にはいかんやろうけどもね、そこんところを痛いけれども我慢して、一生懸命絞らして頂くところから血膿が出る、根が出る、そこからすっきりするおかげが頂ける。
私は大地の信心とはそういう信心だと思うんです。腹が立つときには、自分の心の中に膿が、いわゆる心が疼きよるような物があるからなんだ。とわからしてもらい、悟らしてもろうて、これを絞っていくところの信心。
夏の、特に朝の四時の御祈念。一時の御祈念。四時と九時の御祈念がございますけども、そのなかでもわけて一時の御祈念を皆さんがなさっておられます。若先生を先唱に、それこそ、これからいよいよ暑さに向かっていくが、本当に畳がべとべとになるじゃろうと私は思うです。そりゃもう良か、夏の御祈念会の五十日間の後には畳替えをするぐらいに、いっちょ畳がそでなきゃいけんと思う。もう本当に頭うから、芯から、心から一生懸命の、あるだけの力を絞って御祈念をする。若先生が言うてました、その後に。「こういうような心だったら、どげなお取次ぎでもできる」とこういう。御祈念のすばらしいのはそのことなんです。皆さんがそうでしょうが。もう御祈念を終わって、御理解を頂かなくても心が何か、清々しいもの。暑い中に、それこそぶるぶるするような汗を流した後の気持ちのよさ。その心がおかげになる。だから、そういう御祈念なら、御祈念ということだけで、例えば、お道の信心が終始したら、何何様も同じ事になるから、ここでは御理解、御教えというものをまず頂いて、わが心がみ教えによって開けて、それにおかげを頂くだけではなくて、それにもう一つ輪を掛けたように、言うならば、その御祈念力を得ていったら、合楽の信心の上に、それこそ鬼に金棒の強いものが生まれてくるであろうと私は思うのです。
朝の、それこそ、静かなること海の如しと、海の如しというかね、もう限り無く静かな静かなム-ドの中に、朝の御祈念が仕えられます。昼の一時の御祈念は、それこそ、激しいまでの動きを感じます。言うならば、静と動との動ですね、動き。静と動きのコントラストとでも申しましょうか。何とも言えん静と動が一つになった信心。
そういう信心を今、合楽では目指しておる。今日で三日。まだ知られない方もありましょう。どれかの、これは日にちというか、おかしなことにですね、昼の御祈念を見るとです、朝の御祈念に参って来た方達ばっかり何ですよ。本当に昼の御祈念ぐらいは、暑い盛りにお互いが、合楽の全信奉者がみんな集まって、あの御祈念会に参加したい。そういうおかげを頂きたいという願いを私は持っております。五十日間の信行期間をね、ただ今私が申しましたように、神誡神訓を一か条づつ、私が、お互い、一緒に奉唱さして頂いておかげ頂こうと、こう思うております。それを、今日は三日間の御神誡の中から、ただ今皆さんに聞いて頂いたようなお話を、聞いて頂いた訳でございます。どうぞ短いみ教えですから、覚えてください。「神国の人に生まれて神と皇上との大恩を知らぬこと」「天の恩を知りて、地の恩を知らぬこと」「幼少のときを忘れて親に不孝のこと」そこを、どこまでも教祖指定のみ教えとして行くところに、神露、神の露。神の恵みが受けられないはずがない。天の恵みは限り無い。その限り無いおかげを頂き止めれるおかげを頂きたいと思うのでございます。どうぞ。